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[公家珈琲 平安京ブレンド]
コーヒードリップパック
京都観音町にお店を構えておられる[COFFEE BASE KANONDO]さん。
「和菓子に合うコーヒー」をコンセプトにコロンビアKYOTO農園の豆を中心にブレンドしていただきました。
特に平安京ブレンドは中〜深炒りの重厚な風味がきな粉系のお菓子とよく合います。
イラストは日本画家の小林明日香さん。
古代から続く京都の文化と新しい珈琲文化が融合するようなモチーフを描いていただきました。
是非お菓子と一緒にお試しくださいませ。
レギュラーコーヒードリップパック(窒素充填式)
コロンビアKYOTO農園の豆をベースにしたオリジナルブレンド
(コロンビア、ブラジル、エチオピア)
中炒り
サイズ 110m125m10mm
○以下商品説明になります○
昨年までは寂しかった町も、すっかり元どおりになり、観光地には人があふれております。
最近では観光公害なんていう言葉も耳にするようになりました。
人が集まることで起こる問題はすなわちお互いのリスペクトが足りないことから起こることが常ですが、京都に住む市民として、また、和菓子屋という観光業とも言えなくこない仕事をしている身として、何かできないかな、と常日頃から思っておりました。
日常の私達は、10年前と20年前の違いは「あの歌手が流行っていたな」とか「あの食べ物のブームがあったな」などと違いを認識でき、
体験として語ることができます。
しかし、1000年前と1010年前、もっといえば100年前と110年前の差でさえ、即答できる人は少ないのではないでしょうか。
京都は古い土地であり、歴史の積み重ねの上に私たちの生活があります。
町には何百年前の灯籠が普通においてあり、神社やお寺があり、古い地図と現在の地図を見比べて、「この辺りには聚楽第があったのか」などと歴史を知ることができます。
私も、たまたま和菓子屋という稼業の家に生まれ、何百年前に考案されたお菓子を現在も製造しております。
初代はチョンマゲをしていたはずです。
しかしながら、この歴史の積み重ねというものは、知ることができても簡単には体験することはできません。
お茶の世界では、古いお道具がよく使われます。
例えば秀吉が使ったとされているお茶碗でお茶を飲んでみると、歴史と時間を”知る”から”体感する”に変わる瞬間があると思います。
頭で理解するから、体で感じる、のような違いです。
これは、年表を覚えて歴史を勉強して知識が増えるだけではなくて、何か壮大な「時」を体内に取り込んでいるような感覚です。
おそらくですが茶道において古いお道具が使われるのは、このような「時」を表しているのではないかと考えております。
それと同時に、同時代に生きる人々が集まり、一期一会を喜び合う。
その二つ、縦と横の広がりを体験すること、即ち、人と自然を思い、互いを尊重(たとえ頭で理解できなくても)するという考え方の元になっているのではないかと考えていました。
話は元に戻りまして。
旅行の時に、その土地の時間を感じることは、その旅の満足度を左右することだと思います。
ただ、言葉や文化の違いから短い時間でそれを知ることには限りがあります。
京都に訪れるすべての人が、京都を知り、その土地の歴史と人をリスペクトしてくれるか、というとなかなか難しいところでありますが、
観光業に関わるものとして、少しでもポジティブに旅行者に京都を伝えていくことが使命だと思っております。
そこではまず興味を持っていただくこと(これは京都にお越しの時点で少しはクリアされていますでしょうか。)そして、より深く知っていただくこと、
さらに、体感してもらうことがより重要だと考えております。
しかしながら、全ての人を茶会に招くことはできません。
本題に入りますが、そこで、考えられたのが今回の新商品である「公家珈琲」でございます。
イラストに注目していただくと、平安時代の装束に身を包んだ男性とお坊さんの間にマグカップがございます。
現代人のコスプレかもというようなツッコミは置いておいて、「平安装束の人物とマグカップ」これは、明らかな違和感がありますよね。
もっというと、ちょっと「なんでやねん」と思っていただけるかと思います。
このイラストを見た瞬間に感じてしまう反射的な「なんでやねん」に実は大きなヒントが意味があり、
10年単位の違いがわからない私たちでも「平安時代」と「マグカップがある近代」の違いは反射的に体感で”分かる”のです。
そのちょっとした違和感を感じていただくこと、それは自分の中にも「時を体感」することができるじゃないかという気づきにつながっている、
そして、その時を体感した旅行者は、京都を少し身近に感じることができ、さらに、その土地や人へのリスペクトが深まるのではないかと仮定しました。
長い文章を読んでいただきありがとうございます。
現代の社会における人間にとって、お互いの違いを尊重することがとても大切であり、多くの問題の根本的な原因であると思っています。
しかし、日常の生活においてすぐに忘れてしまう、というのは私だけではないのではないでしょうか。
だから、日常から抜け出して旅行に行ったり、お寺や神社を尋ねたり、自然に触れたりして「時を体感」し、謙虚な気持ちを取り戻しているような気がします。
このコーヒーでは、そいいった「ひとときの非日常」になるコーヒータイムをお届けしたいと思っています。